ゆらぎ

ヴァイオリンを習って始めて知ったことがあります。

ドの♯ と レの♭

ピアノでは同じ黒鍵で、全く同じ音です。

でも、ヴァイオリンは違うということを知りました。

♯は高めに、♭は低めに音を取るので、弦を押さえる左手の位置が微妙に違うんです。

音のゆらぎがでて、人の心に響きます。

 

先日、NHKのFM放送を聴いていて、カシオペアの元キーボード奏者で向谷実さんが、打ち込みの音について、こんなおもしろいことを言っていました。

「きれいだけど、素敵じゃない」

それそれ!

すごくいい表現!

 

法隆寺の宮大工、西岡常一さんが、法隆寺の手すりにある垂直の木の間隔が、等間隔ではなく実に美しいということを著書に書かれていました。

等間隔は、きれいです。

でも、等間隔じゃない美しさは素敵です。

そこには、その木と対話できる宮大工の身体感覚の表現があるからでしょう。

 

建築家、隈研吾さんは超人すぎます。

「天・線・面」を読んでいて、私がバラバラに感じていた、ヴァイオリンの音のゆらぎのこと、法隆寺の不均一な建築のことが、融合した形で記述されている箇所を見つけて嬉しくなりました。

僕はまず聞き耳をたてて、弦から発せられる音色に耳を澄ます。物質が奏でる音に耳を澄ます。弦を弾いてみては音を聴き、またそれを自分の身体の奥に折りたたむ。次にまた、そっと弦に触れて、鳴らしてみるのである。それを無限に繰り返すしかない。新しい音色の響く一瞬を求めて、それをただただ繰り返すだけである。音楽家とは、それを繰り返す忍耐力を持った人間の別名である。そして物質が響きであるとしなたらば、建築家もまた、音楽家である。最も必要なことは、聞くことであり、聞き続けることである。すなわち、受動的であり忍耐を継続することである。

点・線・面 P49より抜粋

隈研吾氏は「物質とは天・線・面の集合ではなく、天・線・面の振動であり、響きであると再定義される」と述べています。

法隆寺を造ったいにしえの宮大工は、音のゆらぎを身体で感じて木と対話して法隆寺を造ったのでしょうか。

ゆらぎ・・・

素敵な言葉ですね。