冤罪 ボエティウス「哲学の慰め」

私の友人は、冤罪によって、理不尽にも人生の貴重な時間を奪われました。

極めて正義感の強い親友。

その詳細は、今回は書きませんが、突然、男が正面に立ち、見覚えのない財布を目の前に突き付けて「お前が盗んだだろう」と言いがかりをつけてきたのです。

証拠もなく逮捕され、有罪となって服役。

絶対に盗んでいないので、一貫して無罪を主張。

反省していないとみなされ、刑期の目一杯を刑務所で過ごしました。

それでも、「絶対にやっていない」と頑張りました。

  

私は、何の助けにもなれず・・・

不甲斐ない自分に嫌気もさします。

   

最近、1700年前に書かれた本 ボエティウス(480年ごろ~524年)の「哲学の慰め」を読みました。

冤罪によって処刑されたボエティウスが獄中で書いた本です。

ボエティウスは、身に起こったことを、どう理解しようとしていたのか・・・。

 

ローマの上級役人でありギリシャの学問にも深い学識があったボエティウスは、反逆罪の罪をきせられて、正式な裁判にもかけられずに、北イタリアの牢獄に幽閉され、死刑の宣告を下されました。

この著書は、この不条理な出来事について、目の前にあらわれた婦人との会話を通して哲学的に述べた文学です。

冤罪によって死刑を宣告され、涙を流しなげき悲しむ主人公の前に、気品のある婦人が現われます。

その婦人こそが、自分を育ててくれた「哲学」であったことに気がつき、会話を繰り広げます。

罪とは

善とは

自由意志とは

「哲学の慰め」が、西暦500年ころに書かれていたことに驚きです。

1700年の時を越えて、私はローマに生きたボエティウスに出会っています。

「それゆえ、あらゆるものは善を求めます。あなたはこのことを、あらゆるものによって望まれるものこそ、善である、と言いかえることもできます」

「これより正しいことは、何も考えられません。なぜかと言うと、次の二つのうちのどちらかであるからです。すなわち、あらゆるものが何か一つのものをめざさなければ、いわば一つの頭がないようなもので、指導者もなくさまようことになるでしょう。もしありとあらゆるものが殺到する何かがあるとすれば、それはすべての善のなかの最高のものでしょう」と私は言った。それを聞くと彼女は

「私の弟子よ、私は非常にうれしい。あなたがほかならぬ深遠な真理の特徴を心に刻んだからです。しかし、これであなたには、あなたが先ほど知らないと言ったことが、明らかになったわけです」と言った。

 私は「何ですか」と尋ねた。すると彼女はこう答えた。

「万物の終極目的は何であるかということです。たしかに、それはすべてのものによって望まれるものです。また私たちはそれが善であることを結論しました。それゆえ、私たちは善が万物の終極目的であることを承認しなければなりません。

「哲学の慰め」(渡辺義雄 訳)

死を前にしたボエティウスは、哲学によって慰められていた。

そして、今、私を慰めてくれている。