自己表現の授業で「思い入れのある身の回りにある物」についてスピーチしてもらいました。
ちなみに、私はペンケースに入れている「スヌーピーの定規」
高校生の頃から、大学、社会人と、常に私と一緒でした。
(その定規についての思い出は、今回は長くなるので省略します)
それぞれ学生たちは、筆箱やリュックの中から思い入れのある物を手にして発表してくれました。
事前に予告していたテーマではなく、その日に、突然出したテーマでした。
なので、わざわざ持ってきたりしたものではなく、まさに、肌身離さず持っている大切な物です。
どれも心を揺さぶられるスピーチばかりでした。
ある男子学生は、ペンケースから取り出した一部が壊れているシャープペンシルを手に発表。
亡くなった大好きな叔母さんがくれたもの、と、自分の家庭環境やその叔母さんとのエピソードを語ってくれました。
ある女子学生は、かばんの中から、かわいい絵柄のきんちゃく袋を取り出して・・・。
保育園の時、お母さんが手作りしてくれたもので、今も小物を入れて使っているそうです。
1,000円札を手にした男子学生は、「このお札は使わず大切にお財布に入れています。」と。
亡くなったおじいちゃんが、最後にくれたお札。
胸ポケットから取り出すおじいちゃんの様子も伝えてくれて、クラスのみんなも泣きそうになりました。
こんな発表もありました。
「この筆箱は、中学生の頃から使っています。サッカーのボール代わりに蹴ったりしたこともありますが、今も使っています。」
やんちゃでひょうきんなその男子学生の発表に、クラスは笑いに包まれました。
そして、その筆箱から取り出したのが、割れた三角定規。
「蹴ったりしてたので割れてしまっていますが、今も中に入れています。」
他にも、友達からもらったシャープペンシル。
その友達は不登校になってしまい、今はもう会うことはないけど、大切に使っている。
とか、
お母さんからもらったサクランボの髪留め(その女子学生は髪の毛が短いので使わないのですが、大切に持ち歩いている)
などなど、全てをご紹介したいくらい、どれも思い入れがあるものばかりでした。
自己肯定感が持てない若者。
自分を好きになれない若者。
けっこういます。
若新雄純さんが、自己愛とは「自己愛着」であるとお話ししているのを聞いて、学生たちが手にした物とピピっとつながり、「そうだ」と気づきました。
若新さんは、ざっと次にようなことをおっしゃっていました。
愛とは無条件に受け入れること。
どんなに恥ずかしいところがあっても、残念なところがあっても受け入れる。
時間とともに傷がついたりしてスペックが下がる、でも「愛着」がある。
これを自分に向ける
「自分は完全無欠の理想にはなれない、残念な部分がたくさんある」
それを含めて自分を愛することが「自己愛着」
壊れた文房具、それには愛着がある。
いいのが欲しければ買えばいい。
そうじゃない!
落ち込んだり失敗した自分のそばにいつもあった文房具。
大好きな家族や友達が自分にくれた文房具。
だから愛着がある。
自分だって、完璧じゃないけど、愛着がある。
これが自己肯定感なんだと。
作家、農業、起業家のよっしーこと中村義之さんもこんなことをおっしゃっていました。
「自分を好きになることは簡単じゃないけど、自分を大切に所有することなんじゃないかな」と。
壊れていても、いつも一緒。
一番近くにあるのは、不完全で残念なところだらけだけど、いつも一緒にいる「私」
学生たちのスピーチから、気づかされました。
恥ずかしい失敗、挫折、ぜんぜんカッコよくない今の自分、
そして、自分を好きになれない自分・・・
全部含めて大事に抱きしめよう。