音訳ボランティアに行ってきました。
目で字面を追っているのと違って、音訳はきちんと読みと意味がわからないといけません。
「賢夫人」という言葉が出てきました。
「けんぷじん」=賢い夫人
最近は耳にしない言葉だなあ・・・
「婦人」じゃなくて「夫人」
デヴィ夫人も「夫人」かあ。
雑誌の「婦人画報」は「婦人」だなあ。
「夫人」は相手の奥様を敬って使う言葉で、「婦人」は成人した女性
・・・・
こんなことを考ながら音訳しました。
何気なく使っている言葉を、立ち止まって味わうことができる・・・
それが音訳の場です。
「身上」という言葉がでてきました。
何気なく「しんじょう」と読んで、後で通して聞き返した時、「あれ?」と違和感を覚えました。
♪オハラショウスケサン おふろが大好きで
そーれでシンショウ潰した♪
この歌が頭をよぎったのです。
もしや、「しんしょう」と読むのでは・・・
辞書でひいたら案の定、その文脈では「しんしょう」の読みが正解で、読み直しました。
漢字で書くとこう書くんだ、と気づきました。
他にも、きょうは、「文人墨客」(ぶんじんぼっかく)や、「畿内」(きない)という言葉も出てきて、読みを辞書で確認しては読んでいました。
そういえば、私の記者時代、当時の村井仁長野県知事が、囲み取材の中で、さらっと難しい言葉を使っていて、局に戻ってからあわてて辞書をひいて「そういう日本語があったのか!」と勉強したことを思い出します。
最近、テレビでは、音から理解しにくい言葉は、違う表現に言い換える傾向にあります。
そのフィルターを通すと、消えていってしまう日本語ってかなりあると思います。
書き言葉でしか残らないのは、寂しい限り。
かといって、使っても相手に理解されなければ意味ないし・・・
美しい日本語は大切にしたいものです。