成績評価に苦しむ

まていに

前期の成績をつけおわりました。

学校の決まりで、相対評価でつけなければなりません。

「他人と比べない」というのが、私の自己表現の授業。

そこと大きく食い違う、矛盾をはらんだ成績付けは苦しい。

教頭先生にも以前、相談したことがあります。

教頭先生も同様に葛藤しておられ、私の苦しさも理解してくださいました。

それでもパーセンテージで成績をつけていかなければならないのは変わらないので、4月最初の授業で、「成績は相対評価」であることを説明してあります。

「自己表現は、昨日の自分より米粒一つ分でもいいから前に進んだことが大切。決して、他人と比較して落ち込んだりしないこと。」

ここが、ぶれてはいけない!

 

建築家、隈研吾さんも同様に葛藤していた文面に出会い、少し救われました。

例えば建築学科の学生の場合、設計製図の課題はすごく大変で徹夜続きの作業になります。そういった大変な課題に取り組んで、ちゃんと提出してくる学生は、みんなすごく優秀なんですよ。だから全員に優を付けたいくらいなのに、その本部のパーセンテージに従わなきゃいけないから、学生はかわいそうだし、僕にも葛藤があります。

日本人はどう死ぬべきか? 養老孟司✖隈研吾

この本ではっと気づいたのが、キリスト教的な考え方と、世間を考える日本的な基準。

・神と個人との関係の中での評価=絶対評価

・世間での評価=相対評価

 

「世間」の定義で、おもしろいなと思ったのが、コテンラジオで紹介されていた定義です。

世間=人の名誉や評判を評価する想像上の空間

これは、なるほど面白いと思いました。

相対評価は、日本は得意なのかも。

 

話はあちこちに飛んでいってしまいましたが、多くの会社にも人事評価制度があります。

これは嫌ですね。

評価でボーナスも査定されてしまう。

「頑張れば、ボーナスたくさんあげますよ」と、馬の頭の先にぶら下げられた人参みたい。

山口周さんが、こんなことを言っていました。

「人事評価制度の問題点は、評価を上げる手っ取り早い方法が、自分が頑張るよりも、他人を落とすことにあること。」

「あいつはダメですね~」と上司に刷り込んでいく方法が手っ取り早い・・・。

最近は、その問題点に気付いた会社も多く、評価制度をやめるところが増えているようですね。

 

相対評価のモヤモヤしたこの感じ。

相対評価が「世間での評価」であり、世間が想像上の空間であるだけに、モヤモヤは晴れることなないでしょう。