市の広報でみつけた「操体法」の講座。
受講料がお安い上、無理のない体操ということで受講しました。
痛いことはやらない、体が楽なように・・・呼吸も整えてと、先生に教えていただきました。
気持ちのいい体操です。
操体法とからだ
「伝える」授業を受け持つようになり、大学の教育原理で習ったノートをめくっていたら「操体法」が出てきて、驚きました。
小林恭先生の授業です。
私のノートに、「ことばの問題をつきつめるには体の問題から」と書かれていました。
小林先生が教えてくださった文献に橋本敬三氏の操体法があったのです。
操体法は、今になって偶然、習いましたが、ことばの問題とつながっていたのです。
やわらかいからだを取り戻す体操が操体法です。
「やわらかいからだ」とは、開脚ができるというような柔軟性のことではありません。
力を抜くことができるからだです。
「主体としてのからだ」になることです。
からだとことば
先生の授業は衝撃的でした。
学校教育は「主体としてのからだ」をなくす、と否定から入りました。
もちろん、教職の意義についても教えていただきましたが。
主体としてのからだ
あがり症の人は「胆を据える」ために腹式呼吸を練習します。
胆を据えることが、言語だけでなく、からだでわかると、あがることはなくなります。
あがり症を克服するためにも、呼吸、そして、操体法もおススメします。
話しは「あがり症」までいってしまいましたが、全部つながっているんです。
単に、文章の並べ方、適切な単語の選び方を学んでも、相手に伝わりません。
「伝える」授業を、真剣につきつめていきたい、大学のノートを見直して、改めて思いを強くしました。