声帯から出る音はたった一つ

伝える

アナウンサーになった当初、当時の発声練習のひとつに、両手のひらを丹田(おへその下)に当てて、瞬時に引き締めて「ア、エ、イ、ウ、エ、オ、ア、オ」と大きな声を出す練習がありました。

その時、口を「ア」なら大きく開けて、「エ」はそれより小さく、と大げさなくらいに口を動かしていました。

竹内敏晴氏は著書「声が生まれる」で、その練習は、のどに力を入れるだけで、のどをからしてしまうだけだと述べています。

さらに、とても興味深いことをおっしゃっていました。

それは、「声帯から出る音はただ一つ」ということです。

「ア」の音を出して、唇の形を変えないまま「アーエーイー」と音を変化させると、母音を発することができます。

「ア」「エ」「イ」という固定した音があるわけではない、ということだ。「ア」から音は微妙に変化して、グラフにとればなだらかな曲線をえがくように、次第に「エ」らしき音に近づいてゆく。(中略)母音とは固定した音ではなく、それが「エ」とか「イ」とか聞き分ける側の耳において成り立っている、ということなのだ。

(中略)

そして、ここからが、わたしが発見ー気づいたいちばん肝心なことなのだが、これによってわかることは、のどすなわち声帯から出る音はたった一つ、「アー」の、いわば原音だけなのだ、ということだ。

(中略)

のどから出る音は、原声音ただ一つ、後は口腔で、そして唇で形作られる。

そしてそれと一体をなして大事なことは、このようにして生まれた原声音が、話しことばの発せられている間じゅう流れて途切れない、ということだ。

声が生まれる 竹内敏晴著(中公新書)

竹内氏は、話す時、のどから流れ出る原音は流れ続けて変わらない、息を吐き続け、音を変化が持続することが、日本語の発声だと。

私がアナウンサー時代に、盛んにおこなわれていた上記の発声練習は、一音一音を全くバラバラにして、それを組み合わせれば一語が成り立つという思い込みの上に立っている方法だ、と述べています。

以前、元NHKアナウンサーの青木裕子さんの音訳の講習会に参加して、「おもしろい」と思ったことを思い出しました。

「白いバラ」と「赤いバラ」を伝えようとする時、白と赤の色の違いを強調しようと、そこを強く読もうとするが、それでは稚拙な読みになってしまう、という内容でした。

両方を声に出して読んでみると、バラの「バ」の音が違うことがわかります。

「白いバラ」の「バ」の音は、バの音が低くなります。

「赤いバラ」の「バ」は「赤い」の「イ」の音と同じ高さで出ています。

「バラ」の音の違いで、人は色の違いを認識しているのだというお話しでした。

もし、「あ、か、い、ば、ら」という音の組み合わせが意味を持つという思い込みであれば、「ばら」の音の変化はなくなってしまいます。

日本語は、息の流れの中で、滑らかに母音を変化させて発声するものなのでしょう。

アナウンサーに必要のない練習を、よくも一生懸命に続けてしまったものです。

アナウンサーのニュース原稿読みも、AIにとって代わられる時代が迫っていますが・・・。

勉強の合間に、ウォーキングに出かけました。

ジョウビタキがいました。ブログの写真は、私が撮影したものではありませんが、お借りして使わせていただいています。

きのうも同じ場所で見かけました。同じ鳥かな?

すると、首輪をつけた白い犬が走ってきました。

脱走した犬のようです。

どうして、そう思ったかというと、犬の表情が「ちょっといけないことしちゃった!でも、楽しい!」という顔だったからです。

足取り軽く、草のにおいをかぎながら、私の横を走りぬけていきました。

私が昔飼っていた犬が、脱走した時の表情とそっくり!

飼い主の姿も見当たりませんでした。

あとで、見つかった時は、ちょっとシュンとした顔するんだろうな。