人生50年だった頃の本

呼吸

今朝は雪。朝の雪景色はとても美しかったです。

大森曹玄の「参禅入門」を読んでいます。

私が尊敬していた大学の教育原理の教授が、教師を目指す学生たちに「読むといい」といって渡してくれたリストにあった本です。

今、ようやく手にとって読もうという気持ちになりました。

なぜ、教育者の卵に、この本を勧めたのか、それをわかりたい気持ちで、読み進めています。

さて、「参禅入門」は1964年に書かれた本です。

東京オリンピックの年です。

本では、「人生50年」という前提で書かれていたことに驚きました。

時として生きる苦しさにたじろぎ、人生の無常に悩むこともあろう。人の力の限界を知って悲観することもあろう。そのようなとき、われわれは、何が人生の真実なのか、人間とは何であろうか、いったい自分とは何だろう、と振り返ってみたくなる。そしてこの五十年のいのち、五尺のからだという限られた自己の存在に不安を覚え、絶望を感ずるに至るのである。

参禅入門 P12

あれから56年、再び東京でオリンピックが開かれる2020年、人生は100年時代に突入しています。

寿命の考え方だけでなく、職業についても変わっていて面白いと思った記述がありました。

坐禅をしていない時のふるまいについて述べている章です。

資生産業ことごとくが仏法であり、人事百般、禅でないものは何もないことになる。

 銀行員が札束を数えるのも、会社員が帳簿にペンを走らせるのも、パイロットが飛行機の操縦桿をにぎるのも、バスガールが切符をきるのも、この方法をもってすればことごとく禅意にかない、禅定力の錬養となり、発揮となる。

参禅入門 P138

当時書かれていた仕事内容のほとんどが、今やほとんど姿を消していました。

この55年ですら、仕事内容が変わってきているので、AI技術によって今後はなくなる仕事があるも当然でしょう。

 

臨済宗の僧侶の大森曹玄の本、そしてヨガ行者でもある中村天風の本を、最近、立て続けに読んでいるのは、スピリチュアルブームやヨガブームだからではありません。

まったくの偶然です。

「自己表現」の授業を進める中で、ソシュールの言語論について調べようとする中で、内田樹さんの本に巡り合い、そこに書かれていた中村天風の本を読み、ソシュールを教えてくださった大学教授に勧められた本を読んでみたくなり、といった次第です。

最近、興味を持ったことや出会いが、根っこのところでつながってきていることが不思議で驚きを感じています。