なぜ生きるのか

伝える

自己表現の授業で、シャッフルスピーチをしました。

一人一つ、スピーチのテーマを考えて紙に書いて、それを封筒に入れてシャッフル

そして、ひとり1枚紙を引き、書かれたテーマでスピーチをします。

自分の書いたテーマを、誰がどういうふうに発表してくれるのかも楽しみの一つです。

テーマといっても「好きな食べ物」とか、「最近あった嬉しい話」など、簡単なものです。

 

この日のシャッフルスピーチ。

ある男子学生が引いたテーマが「なぜ生きる」という、壮大なテーマでした。

どうスピーチするんだろう

はぐらかして切り抜けるのかなあ、などクラスが注目する中、彼はこんなスピーチをしてくれました。

 

『人は、「なぜ生まれるのか」と考えずに生まれてきます。

 そのようにして生まれてきたのだから、

 「なぜ生きるか」の答えは、生きながら見つけていくものだと思います。』

  

シャッフルスピーチは、考える時間はほとんどなく、言葉の瞬発力も必要です。

このテーマに対して真摯に答えたスピーチに、クラスからは拍手。

 

シャッフルスピーチは、輝く今を生きる学生が映し出されます。

例えば・・・

 

「僕は何かにおびえている

 みんなもそうだといいなあ」

    

学生たちのスピーチや感想に触れ、太宰治の「人間失格」を読み返したくなりました。

学生がその登場人物に似ているという訳ではありません。

太宰が書く繊細な青年に共感を覚えるからです。

人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変わっているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

 そこで考え出したのは、道化でした。

 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

太宰治「人間失格」より

 

そういえば、何年か前に、職員室にこんなこと言って訪ねてきた学生がいました。

「先生、ひょうきんなキャラでいるのに疲れてしまいました。」

みんな、怯えながら、道化しながら、悩んで「なぜ生きるか」を探している。

美しい。