健全な身体に健全な精神

まていに

小布施は桜が満開です。

花びらが風でちらちらと舞っていました。

義母に会うために、小布施町にあるハイウェイオアシスの横を通りました。

そこには、忘れられない思い出があります。

夏の暑い日。「暑さ」の取材のため、噴水で遊ぶ子供たちを撮影しようと訪れました。

カメラマンが撮影している間、私は木陰の階段で休んでいました。

そこに、知的障害者施設の利用者さんらしき10人ほどが、涼みにやって来て、引率の女性が、「しばらく、ここでお休みしましょう。」と、優しく声をかけました。

すると、みなさん、それぞれに、そよぐ風に顔を向けて、本当に気持ちよさそうに、風を全身で感じているようでした。

何をするわけでもなく、サワサワと木の葉を揺らす風の音に耳を傾けてて・・・。

それぞれが、それぞれに。

その姿に私は、心を揺さぶられたのです。

今、この瞬間を、こんなにすばらしく感じている人たち。

風は、あたかも彼らの体を通過していくかのようで、自然と一体となっているような美しい光景でした。

  

一方の私というと・・・

私がいるこの場所を独り占めしてるような傲慢さ。

「今、この一瞬」を大切にできず、せかせかとしている自分。

  

その方たちの美しい佇まいが忘れられず、翌年の春、満開の桜の下で、私は、風を感じようと一人腰を下ろしてみました。

が、しかし、これができないのです。

風を感じたい、時を忘れたい、という欲望だらけで、まったくダメでした。


イギリスの哲学者、J.ロックが教育目的として述べた言葉です。

健全な身体に健全な精神 mens sana in corpore sano

これは、「健全な身体に健全は精神が宿ったらいいのになあ」という願望です、と教わりました。

神は健全な身体に現れないのだと。

逆を言うと、障害や病を持った人に、健全な精神が宿ると。

  

「ありのまま」になれず、いつも「物足りない、物足りない」と言い続ける「健全」という病にかかっているのが私。

「ありのまま」を、全身に受け止めた天使のような人々を前に、「健全病」の私があぶりだされました。

そんな私は、ブログのタイトルにあるように「まていに」=丁寧に,、時を重ねることしか、「健全病」の重症化を避ける方法はないようです。