永六輔さんが亡くなった時に、永六輔さんが残した文章で「シルバーシートがあるから日本人がダメになる、なくなればいい」といったのを目にしました。
シルバーシートがあるから、乗り物に乗ってきた人に気を配る人間性がなくなってしまうという趣旨です。
一理あると思いながらも、シルバーシートにもいいところもあり、そこまではっきりと言い切る永六輔さんは、なんと勇気があるのだろうと感じたものです。
永さんの言葉が私の頭の隅にあって、つい最近、本で中西輝政 京都大学名誉教授の言葉を目にしたとき、シルバーシートについて、悶々と考えていたことが、リベラルアーツの側面からスルスルと読み取れたような気になりました。
中西輝政先生は国際政治学、国際関係史研究の第一人者でいらっしゃいます。
リベラルアーツという言葉の意味について、私の考えをお話しします。英語の「liberal」は縛りがない、つまり「自由」という意味を含む言葉ですね。その反対の言葉は「disciplimary」ではないかと思います。「規律」「訓練」「体系化された学問」といった意味を含む言葉です。
自由になるための技術リベラルアーツ (山口周氏との対談) 講談社
リベラルアーツの対義語として「disciplimary」としたところが、すごく納得感がありました。
シルバーシートは「disciplimary」で規律です。
一方、乗り物に乗り込んできたお年寄りや体の不自由な方などに瞬時に席を譲りたいと思う衝動は「liberal」。
内田樹 神戸女学院大学名誉教授もこんなことを言っています。
「正しいこと」と「いいこと」は違う。「正しいこと」はしばしば多くの人を不幸にするが、「いいこと」の場合は(定義上)いいことしかないのが手柄である。
コロナ渦で話題となった行き過ぎた「自粛警察」を思い浮かべました。
「自粛警察」は「正しいこと」を強制しようとして、人の心を失ってしまいました。
シルバーシートも同様。
「正しいこと」を求めるシルバーシートが「規律」である一方、席を譲る行動は「いいこと」という開かれた心の発動で、それこそがリベラルアーツなのではないかと。
学問でいうと、専門的な知識を教える専門学校は、資格取得を目指す場合、「disciplimary」で「体系化された学問」が中心となることが多いと思います。
上田情報ビジネス専門学校(略称:ウエジョビ)は、専門学校でありながらも、「liberal」を一番に考えてきているところが、多くの専門学校と違うところなのではないかと整理がついてきました。
AIの進歩で急速に社会が変化する中、「disciplimary」は後追いとなっていきます。
リベラルアーツがない国や組織や個人は、彷徨うことになる。
永六輔さんが嘆いていたのは「シルバーシートにみるリベラルアーツの喪失」だったのかもしれません。
「真・善・美」といった普遍的で根源的な価値に触れる機会を積極的につくっていくことに時間を割いていいと、お墨付きをもらったありがたい時代がやってきましたよ!