あがり症を自覚するきっかけに「国語の本読み」をあげるが、なんと多いことでしょう。
小中学校の国語の授業で、順番に1行ずつ声を出して読むことってありました。
夫がその思い出を話してくれました。
自分が読むところに追いつくのに必死で、前の人の読む文字をひたすら目で追っていた。
読み終えたら、「終わった~」とほっとして、後の人の文章はうわの空だった。
文章を味わう余裕はなかったと、夫。
学校の本読みがきっかけで、「あがり症」を発症した人の何と多いことでしょう。
一般社団法人あがり症克服協会の鳥谷理事長もそのお一人ということで、驚きました。
何のために、1行ずつ、もしくは、1段落ずつ声を出して読ませるのか。
時間を埋めて授業の体裁を整えるという、安易な気持ちでやらせていないことを願っています。
国語の文章は、声に出すと、そのリズムや音の美しさが、カラダに染み入ります。
今でも、「春の海ひねもすのたりのたりかな」とか、当時、声に出して読んだ文章が、スラスラと出てきます。
言葉は、生き生きとした身体から発せられる時、相手の身体にも染み入ります。
私は、今改めて、声に出して感じる日本語の美しさを教えてくださった恩師に感謝しています。
そのおかげで、今の私がいます。
「言葉」「伝える」ことに携わっている私の原点だったと思います。