「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」

あがり症

栗原類さんの「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」(KADOKAWA)を読みました。

栗原類さんは、モデル、タレントとして活躍していて、不思議な感じが気になっていました。

栗原さんは、ご自身の「発達障害」について、伝えてくれていました。

発達障害について知るには、ご本人の言葉で書かれているので、とても素晴らしい本でした。

そして、お母さま、主治医の先生の書いた文章も入っていました。

お母さまの栗原泉さんの書いた章で、発達障害にかかわらず、子供の教育で、私が無自覚だった点があり、ハッとしたところがありました。

それは、発達障害であるために遅刻してしまう栗原類さんが、日本の学校でストレスをためていったことについて、お母さま泉さんが書いた以下の文章です。

特に日本の学校は、他人の行動に子どもが干渉しがちで、それを教師や親が咎めないまま育っていくので、毎日遅刻をしていると「また遅刻かよ!」と、いちいち干渉してくる子どもが必ずいます。すると嫌な気分になるし、余計な口は挟まれたくない。息子もそれがストレスになると私に言ってきたことがあります。

(中略)

 これがアメリカの小学校だと、誰も文句は言いません。「また遅刻かよ!」と、誰かが言おうものなら、教師なり保護者なり、それを見ていた大人が注意します。「遅刻はあなたには関係のないことでしょう。あなたが口をはさむべきではない。」と注意するので、小学校低学年の時点で、他人に余計な干渉をする子どもはほぼいなくなります。

 そもそも他人の行動に口をはさむのは幼稚な行為であるのは確かです。学校に遅刻して誰の不利益になるのかといったら、それは遅刻した本人であり他の生徒には関係がなく、そもそも同じ生徒という立場の子供が非難するのもおかしな話。

お母さまの泉さんは、類さんを、最初アメリカの小学校に通わせていました。

日本とアメリカ、両方の教育を見てきたために、このような思いになったと思います。

 

発達障害で、時間の逆算が苦手。そして、忘れ物をしては家に戻り、また途中で気が付いては家に戻り、どうしても遅刻してしまっていた栗原類さんは、同級生からの「また遅刻かよ!」の言葉にストレスを感じてつらかったそうです。

「他人と比べない」ということも書かれていて、これこそ、私の授業や、あがり症克服協会で伝えていることです。

「自分らしく」

幼少期から、こうした意識を育むことに、もう少し力を入れていけば、自意識過剰によって、あがり症で苦しむ人も少なくなるのではないかと思ってしまいました。