内田樹さんの「街場の教育論」(ミシマ社)を読んでいます。
こんなことが書いてありました。
教師が教壇から教えることはただ一つ、「私には師がいる」という事実のみで、師に教わったコンテンツではない、と。
「学び」への欲望の活性化は、師には師がいて、師が師から学んでいる姿を見ることによっておこるというのです。
そうかもしれないなあ。
その章の中で、次のような文章が出てきます。
「限界」を作っているのは私たち自身なのです。「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価が、私たち自身の「限界」をかたちづくります。「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価は謙遜しているように見えて、実は自分の「自己評価の客観性」をずいぶん高くに設定しています。自分の自分を見る眼は、他人が自分を見る眼よりずっと正確である、と。そう前提している人だけが「私にはそんなことはできません」と言い張ります。でも、いったい何を根拠に「私の自己評価の方があなたからの外部評価よりも厳正である」と言えるのか。これもまた一種の「うぬぼれ」に他なりません。それが本人には「うぬぼれ」だと自覚されていないだけ、いっそう悪質ななものになりかねません。
街場の教育論 内田樹
自分を外部の評価より低くして、頑としてゆずらないのは「うぬぼれ」とは、これまた、内田氏面白い!と思いました。
若者には、自分の「限界」を、どんどん突破していってほしいものです。