私の「容子」という名前
幼少の頃、父に「どうして容子って名前をつけたの」と訪ねました。
「誰でも読めて、左右対称だから」と、なんとまあ、父は正直すぎ!
何か意味があってつけたと思っていた私は、がっかり。
そこで、「何か願いがあってつけてくれたんでしょ」と、食い下がりました。
すると、渋々父は・・・
「寛容の意味の容だよ」と、その場で考えたのか、本当にそうだったのかわかりませんが、そんな答えが返ってきました。
「寛容」という言葉を知らなかったので、辞書で調べて、そこにあった『心が寛大で、よく人を受けいれること』という意味に出会って、嬉しくなったのを覚えています。
森本あんり氏(国際基督教大学人文科学科教授)が、2020年12月15日に発行した最新の著書『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』を読みました。
トランプ氏の狂信的な支持者が生まれた背景は?
トランプ氏の、ハチャメチャとも思える主張の精神的な源はどこにあるのか?
どうして、バイデン大統領の就任での宣誓で、聖書なのか?
こんな疑問から、読んでみました。
イギリスからアメリカ大陸にやってきたピューリタンの開拓史からひも解くもので、大変興味深く読みました。
さて、私が幼い頃、良い言葉として知った「寛容」。
この「寛容」について、森本氏の著書では、17世紀に生きたロジャー・ウィリアムズを通して考察されていました。
違う宗教に「寛容」な態度をとったウィリアムズは、開拓した土地の統治が難しくなるなどの困難にあっています。
一筋縄では解釈できない「寛容」
「相手が間違っているが尊重する」という受け入れられない部分、つまり不寛容な部分があって「寛容」があるのだと森本氏。
「寛容」な人間とは、「不寛容」な部分があるということ。
この著書を読んで、寛容という言葉に浮かれていた自分に気づきました。
哲学書でもある「不寛容論」
大変奥深く、あと100回読んでもいいくらいの本でした。