知っているようで知らない「海抜」

言葉

「菱川先生、標高フェチ」

と、学生の間で知られております。

フェチという言葉は適切ではありませんが、多くの信州人と同様、標高が気になります。

(東京へ行く新幹線から見えた富士山。標高3776メートル “皆なろう”)

 

学校があるところは標高450メートル

実家は標高650メートル

標高800メートル以上で生活していると、酸素を取り入れる能力が高いとか。

 

きのうは、峠を超えて岐阜県へ、それから、富山県の海沿いを走りました。

標高差は1300メートル以上。

 

夏に御嶽山のロープウェイ駅に行きましたが、そこで売っているスナック菓子の袋はパンパンに膨らんでいました。

 

「標高あるある」ですが、標高が低い海沿いの街に泊まり、チューブの化粧品を使って帰り、実家でそれを開けると、ツルツルと化粧品が出続けてきて、慌てます。

 

ふと、「標高」と「海抜」はどう使い分けるのか、疑問がわいてきました。

小学校の庭にあった石碑には「海抜5〇〇メートル」とあったのを覚えています。

石碑は「海抜」で書かれていました。

(海抜と標高の使い分けについては、ここではスルーしちゃいます。ごめんなさい。)

いろいろ調べていたら、「海抜」について、知っているようで知らなかったことに気付きました。

ネットで調べると・・・

(ネット情報なので正確な情報なのかはわかりません。以下はあくまでネットの情報です)

「海面からの高さ」

それは、そうでしょうけれど・・・

海面は、潮の満ち引きがあるため、平均の潮の高さを基準にしているとか。

そうか、深い!!

海のない県、信州人の私にとって潮の満ち引きはあまり身近ではないので、「海面の平均値」からの高さ、とまでは深く理解していませんでした。

 

言葉ひとつとっても、知っているようで知らないことがあります。

言葉を深く勉強するのは楽しいです。

 

と、標高アプリをスマホに入れて、ビルの階段を10階以上を歩いて登って高さを確認してみました。

でも、そのアプリはあまり良い反応をしてくれず、ビルの1階分の高さが割り出せませんでした。