大勢の人の前で話すとき、緊張を和らげようと、よく使われる手段があります。
「聴衆をカボチャと思え」
これで効果があった人は少ないと思います。
話は聴く人に向かってするもの。
たとえ、大勢の前でも、話す瞬間、瞬間は、ある一人の人に視線が行っているはずです。
目を見て話すのが習慣になっているのに、人をカボチャと思うことなんてできません。
私は、アナウンサーや記者時代で苦手なことがありました。
それは、事件や事故など、カメラマンが現場を撮影しているのと同時に、その状況をカメラの後方でリポートすることです。
カメラには1チャンネルと2チャンネルの2つの音声の入り口があります。
一つのチャンネルは、現場のノイズ。
もう一つの空いているチャンネル。ここに、記者などが、現場のリポートを入れることをよくやります。
例えば、容疑者の身柄が移されるとかの場合、「〇〇容疑者を乗せたと思われる車が、今、△△から出てきました。」といったようなリポートです。
こうすることで、リポートを使う時は両方のチャンネルの音声を使いますし、リポートがいらない場合は、ノイズのチャンネルの音だけでやればいいのです。
さて、私がこのリポートが苦手な原因。
それは、「目を見て伝えられないこと」にあります。
カメラに向いて話すのは、レンズの向こうの視聴者に向かって話しかけている気持ちですから、声の大きさやトーンも、それ相応にできるようになりました。
しかし、カメラのレンズは現場の方を向いていて、私に向いていないのに、話しをするということは、どうしたものかと、悩んでしまうのです。
一人ぽつんといる感じです。
「独り言じゃいけないし、テンション上げてみようかな、いやいや、なんだか、大根役者のようなしゃべりだぞ」、などと頭の中で、別の私がつぶやくのが聞こえてきます。
話しを戻しますと、あがり症の人に、コンタクトレンズを外して臨むという人もいます。
カボチャ理論と同じです。
もう一度、繰り返しますと、「話す」ということは、聴いてくれる人に伝える気持ちがないといけません。
聴いている人への感謝の気持ちが、あがりを克服してくれます。
あがり症克服協会は、これをきちんと教えてくれます。
笑顔で聞いてくれる人がいれば、その人に向かって話しかけてみてください。
視線をあげて、届く声を出すために、後方の席の人に話しかけるのがいいと思います。
あがらずに、自分の話に集中できるはずですよ。