「忙しい」は、心を亡くすと書く。
きょう、母と二人で、去年亡くなった伯父が納骨されているお寺へお参りに行きました。
伯父の遺骨は、寺の一角、鍵のかかった個別の扉の中に納骨されています。
伯父は、一番下の弟で、姉である母を母親のように慕ってくれていました。
母は、昨年末、お参りに行った時、扉に鍵がかかっていた上、ご住職も不在だったので、仕方なく、扉が閉まった状態で手を合わせてきたそうです。
私は初めてのお参りで、こちらの寺のシステムもよくわかりません。
きょう、ご住職をチャイムでお呼びしたところ、少し不機嫌そうな面持ちで庭から現れました。
ご住職:「どうぞ、中に入ってお参りしてください」
母 :「扉の鍵を持っていないんですが・・・」
ご住職:「扉の前でお参りできますが、扉を開けた方がいいですか?
扉を開けるなら鍵を持ってきますけど、どうされます?」
母 :「扉の前でもいいかしら・・・」
そう小声でつぶやいた母。
扉を閉めたままでのお参りが母の本意ではありません。お忙しそうなご住職に鍵を持ってきていただくことに遠慮があったと思います。
ご住職:「どうします?扉を開けますか?」
再三の「扉を開けますか?」の問いにとまどう母と、すこし苛立ちの表情を浮かべたご住職。
母は「お願いいたします」と、勇気をふりしぼってお願いしました。
小さなコインロッカーくらいの大きさの扉を開けていただくと、伯父の遺骨が入っていました。
マッチ箱のマッチが空っぽになっていて、ロウソクに火を着けられません。
マッチをいただいて、ロウソクに火を灯しました。
「来たよ」と、母は優しく声を掛けていました。
その姿を見て、勇気をふりしぼって母に声に出させてしまい、申し訳なく思いました。
なぜか、仏具のおりんの中に、短い線香が1本入っていました。
母と二人、伯父にお線香をたてて、手を合わせて寺をあとにしました。