高山村のワイン用のブドウ畑で、今年最後の夕暮れを迎えました。
美味しいブドウを実らせるために、きれいに剪定されたブドウ。
「来年、おいしいブドウを実らせてね!」と語り掛けたくなる気持ちになりました。
美しい夕暮れをみていたら、先日読んだ本のことが頭に浮かんできました。
山口周さんの「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」の本です。
私たちがこれから直面することになる状況の多くは、過去の問題解決において有効だった手段が必ずしも使えない状況、パターン認識力の高さが、そのまま問題解決の能力に繫がらない、むしろ状況を見誤らせることになる状況です。このような状況において、まず必要なのは、何が起きているのかを虚心坦懐に「見る」ということでしょう。
おとといのブログでも書いた世界的数学者の岡潔氏の「春宵十話」では、山口周氏の言うところの“虚心坦懐に「見る」”と同じようなことが書かれていました。
絵の構図に1週間、描き上げるのにたったの3時間半という画家を例に、構図に使った智は無差別智、描き上げる間に働いていた智力は分別智であり、数学でもこれくらいの比率になるのかと思ったと言っています。芸術と数学は非常に良く似ていて、垢のない真智こそが大切だと言うのです。
智力に二種類の垢がまつわりついている。外側のものを邪智、または世間智、内側のものを妄智、または分別智といい、これに対して智自身を真智という。
2018年が終わろうとしています。
新しい時代は、今すでにそうであるように、「常識」が目まぐるしいスピードで変わっていくでしょう。
「美しいものを虚心坦懐に見る」、「真智」を求める自分でありたいなあと、美しいブドウ畑を見ながら感じました。