音訳のボランティアに行ってきました。
塩尻市の無量寺の尼僧、青山俊董さんの著書「道を求めて」(主婦の友社)を読んでさしあげました。
じっくりと理解してから声に出して読むと、普段の読書ではわからなかった部分が理解できたりと、自分自身の発見になります。
青山俊董さんが「縁」について書かれた部分読んで、「ご縁って不思議だな」と感じました。
この著書は、実家にあったものです。
伯母が青山さんと幼馴染み、ということで、サイン入りの本をいただきました。
何気なく、手にとり読んだこの本。
青山さんのおっしゃることが、その時の私の胸に響きました。
もし、叔母が幼馴染みでなかったら、この本は実家になかっただろうし、手にとることもなかった。
読んでも、その時の私が、のほほんとした状態だったら、「ふーん」で終わっていたかもしれません。
そこから、音訳のボランティアを始めて、この本を読むご縁に恵まれました。
ローマ法王の側近としてバチカンで活躍しておられる尻枝正行神父は、失明の恐怖のどん底にいる曽我綾子さんに送った手紙の中で、「『私が苦しみから救われる』のではなく、『苦しみが私を救う』のです」といっておられる。どんなにすばらしい言葉を聞き、あるいは読んでも、受け止める側の心にスイッチが入っていなければ、フルスピードで通過していしまう電車と同じで、何も残らない。(青山俊董「道を求めて」より)
視覚障害者の方は、私の遥か遠くまで、心の目で世界を観ていらっしゃいます。
「釈迦に説法」と、躊躇しながらも、心を込めてお読みしました。