ガンジーもあがり症だった

あがり症

ミャンマーの軍政に対する抗議デモ

流血の事態は収束する兆しも見えません。

非暴力を貫きインドを独立へと導いた「ガンジー自叙伝」を読み始めました。 

小説を読んでいるかのように、情景が浮かぶ自叙伝。

驚いたことが、ガンジーは極度のあがり症だったということです。

あれだけ、言葉で多くの民衆をまとめて独立へと導いたガンジーがです。

「ガンジー自叙伝 真理の実験 ガンジー著 池田運訳 」より、その部分を抜粋します。

2 少年時代

わたしは大変なはにかみやであった。学校ではひたすら、自分の殻のなかに閉じこもっていて、始業の鐘が鳴るのと同時に登校し、授業が終わるとすぐに家に逃げ帰る、といった具合であった。

“逃げ帰る”という言葉を、あえて意識して使った。誰とも話したくなかったし、それに、誰かにからかわれはしないか、とたえずオドオドしていたのである。

 

18歳になり、弁護士の勉強をするためにイギリスへ留学することになったガンジーは、高校で出発前に挨拶をしますが、これも、極度にあがってしまったことが書かれています。

高等学校では集会が開かれた。みなに説明するため、少し書いたものを用意していったが、目の前がぐるぐる回りだし、身体がふるえていたのを覚えている。

 

菜食主義のガンジーは、イギリスで「菜食の会」に参加しますが、ここでも全く意見を言えなかったことが書かれています。

参加者はそれぞれ、自分の意見を述べるのに、ガンジーは何もしゃべらず座っているばかり。

話す意欲がなかったわけではない。なにを言ったら笑われずにすむかばかりを考えていたのである。だれもかれもが、自分よりもすぐれた知恵者に思えてならなかった。たまに口をきく必要を感じて、腹のなかでなんとか勇気を奮い立たせようとしているあいだに、もう議題は次へと移ってしまうのだった。

 

その会で、産児制限を良しとするメンバーを除名すべきかという、深刻な問題が議論された時のことです。

ガンジーは自分が、意見を言わないまま賛否にかかわるのは卑怯だと考えました。

意見を発表したかったのですが、話す勇気もないので意見書を書き、他のメンバーが代読してくれました。

情けないことに、私は自分の書いたものを読む勇気さえ持ち合わせていなかったのである。

 

また、ある時、菜食普及の大会が開かれることになり、ガンジーはスピーチをすることになります。

用意された原稿を読んでもいいというので、原稿を書いて臨んだ演壇で・・・

大会が開かれ、読もうとして演壇に立つには立ったが、どうしても読みつづけられない。目の前に暗闇が広がり、手脚はぶるぶると震えた。原稿はせいぜい洋罫紙一ページほどであった。マジムダルがわたしに代わってみなに読んで聞かせた。一方、マジムダルのスピーチは見事であった。聴衆はかれのスピーチに、響きわたる拍手をもって応えた。わたしは深く恥じ入り、話すことにかけての自分の能力の無さが悲しくてならなかった。

 

イギリスで弁護士の勉強をして帰国したガンジーは、ある訴訟を任されます。

法廷に立ったガンジーは・・・・

わたしは被告側の弁護士であったので、尋問に答える必要があった。辛うじて起立はしたものの、膝頭がガタガタふるえ、頭は旋回しはじめた。まるで法廷全体がぐるぐる回っているような感じで、何を問われているか皆目わからなかった。判事はきっと失笑を抑えきれなかったに違いない。ほかの弁護士たちはおそらく面白がって見ていたことだろう。目の前が真っ暗であったわたしは、そんなことには何一つ気づかずじまいであった。

着席すると、わたしは訴訟依頼人に言った。

「これ以上訴訟をつづけることはできません。パテルに依頼してくださいませんか?いただいた報酬はお返しします」

「逃げ帰った」とガンジー自身が述べています。

 

驚きました。

ここまで人前に立つことが苦手だったとは!

そのガンジーが言葉で人を引き付けて、インドを独立へと導いていくのですから!!

 

ガンジーの自叙伝を読むきっかけは、「COTEN RADIO」を聴いたからです。

完全無欠、聖人として語られるガンジーも、一人の人間であること、そんなガンジーがインドを独立へと導いてきたことが、楽しく語られています。

とても面白い歴史のコンテンツなのでオススメです。

 

ガンジーは自叙伝の序章でこう述べています。

「一人に可能なことは、万人にも可能である。」

勇気が湧いてきますね。