智力が訪れるとき

まていに

昔は2時間、今は2分

時間が余ったと思う長さらしいです。

電車が好きは私は、電車に乗るとぼーっと景色を眺めているのが好きです。

時には、スマホで新聞を読んでいるうちに、目的地に到着することもあります。

また、この時間に何かやらないと「もったいない」気もして、景色を見ていてもソワソワしてくることもあります。

世界的数学者、岡潔氏(1901-1978)は、数学ができあがっていくとき、一番大きな働きをするものは「智力」と言っています。

その「智力」が訪れるときのことを、こう書いています。

 また例をあげましょう。私が中学生のころ、数学の試験は答案を書き終わってから間違っていないかどうか十分に確かめるだけの時間が与えられていました。それで十分に確かめた上に確かめて、これでよいと思って出すのですが、出して一歩教室を出たとたんに「しまった。あそこを間違えた」と気づくのです。そうして、しおしおと家路につくのです。たいていの人はそんな経験がおありでしょう。実は私などそうでない場合のほうが少ないくらいでした。教室を出て緊張がゆるんだときに働くこの智力こそ大自然の純粋直感とも呼ぶべきものであって、私たちが純一無雑にして努力した結果、真情によく澄んだ一瞬ができ、時を同じくしてそこに智力の光が射したのです。そしてこの智力が数学上の発見に結びつくものなのです。しかし、間違いがないかどうかと確かめている間はこの智力は働きません。

 ところが、いまは冷やすほうを抜きにして熱してばかりいるように思われます。かまに入れてたき続けているものだから、大脳前頭葉は過熱状態に陥っています。

春宵十話 岡潔

ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英先生が、散歩とお風呂を重要に考えていらっしゃいましたが、「智力」が訪れるときをご存知だからこそでしょう。

岡氏が言う「緊張がゆるんだ時に、間違いに気づく」というのは、「あるある」です。

報道デスク時代、原稿のチェックをキリキリと頭を働かせてやり終えて、本番を迎える3分前、ふーっと一息ついた時「あっ!」と間違いに気づいて、あわてて走って直したこともありました。チェックにチェックを重ねていたのにです。

岡潔氏のレベルとはかけ離れた次元の体験ですみません。

岡氏の本を読んで、景色をながめてぼーっとする時間も大切なんだなあ、と思いました。

しかし、「智力よ来い!」と、その時をギラギラとした欲望を持って過ごすのではいけませんね。

今、世界のリーダーたちが、美意識や直感に注目するようになり、芸術鑑賞などを積極的に取り入れているそうです。

智力を求めてのことでしょう。

そういえば、今週、NHKのテレビで、別所温泉の北向観音で「知恵の団子」を撒く行事が行われた、というニュースを見ました。

カメラマン記者が「どんな知恵が欲しいですか?」と、参拝者にインタビューしていました。

ちょっと、本来の意味と違うかなあ・・・。

けさ、ツバメが飛来してきました。

よく来たね。