最期は息を吐いて死ぬのだろうと、僧侶であり、作家でもある玄侑宗久氏が述べていました。
吸うのか吐くのか、その部分のこだわりがわからないまま、玄侑氏の著書を読みおえたので、今も、そこに無頓着な自分にひっかかったものを感じています。
私をかわいがってくれたおばちゃんが亡くなりました。
私が見守る中、息をしなくなった、と思ったら、瞬く間に心臓の鼓動も止まりました。
呼吸が弱くなってきて、吸ったのが最期か、吐いたのが最期か、それすらもわからないように美しく静かに淑女らしく息を引き取りました。
人間は、呼吸をすることで肉体と宇宙を結び付けている。
呼吸が止まり、肉体は宇宙と切り離されるけど、あとはどうなっちゃうのかなあ。
子供部屋の壁紙のような優しい水色の空と白い雲を、部屋の中から、寝転んでぼーっと眺めて考えてました。

おばちゃんが亡くなってからというもの、毎日夕日がきれいです。
通夜の日、北アルプスの夕焼けのあまりの美しさに、私は「はあっ」っての感嘆の息を吐いて見とれてしまいました。
「呼吸」それ自体が生きること、明快なものを感じさせてくれたここ数日間でした。