「自己表現」の授業で、楽しい試みをしてみました。
山梨県立美術館で所蔵するミレーの絵画(図録)を言葉で表現する遊びです。
クラスにはどんな絵かは見せません。
前に出た2~3人だけが絵画を見ます。
2~3人のグループが、絵画を言葉だけで表現して、クラスに伝えます。
最後に、どんな絵画だったかを全員に見せて、言葉から受けたイメージとのギャップを楽しみました。
どう伝えたらいいのか困惑しながら、時には一緒に前に立つ仲間同士が話し合いながら。
楽しい表現が出てきました。
印象的なのを少しご紹介します。
① 眠れるお針子
「こんな格好で授業受けてたら、絶対に先生に怒られるよね」
② 落ち穂拾い、夏
「え?何だろう、後ろの・・・」
「なんだろ、なんだろ、山?」
「茶色いよ」(実際はうず高く積み上げられた麦わらの山)
「てっぺんに犬が2匹いる」(私はそれまで存在にすら気づかなかった)
③ 夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い
「・・・・(笑い転げてしまって言葉が出てこない)」
「(笑いをこらえて)なんか、死んでる人が立ってるみたい」
次には仏像の写真も表現してもらいました。
私が大好きな東大寺戒壇院の四天王像の広目天
「○○君が怒ったような顔」
「天龍源一郎に似てる」
仏像の螺髪(らほつ)の表現では・・・
「(お菓子の)たけのこの里みたい」
心に映ったものを伝えるのは楽しいな。
言葉を尽くして細部を描写して伝えても、写真を再現するかのように作品を再現することはできない。
実際の作品から離れ、心に映ったものこそが現実で、それがアートなのかな。
などなど、学生たちの表現を聴きながら考えを巡らせました。
この試みのきっかけとなったのが、川内有緒さんの「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」という著書です。
美術館へ足を運ぶのが大好きな全盲の白鳥さん。
著者やその仲間が、あーだこーだと言いながら、白鳥さんに芸術作品を説明している様子が、ものすごく楽しいです。
白鳥さんに芸術作品を説明していた著者たちこそが、楽しんでいたことが書かれています。
授業を終えた学生の感想に
「小学生のように感じたい」といったことが書かれていました。
いい感想だなあ。
世間で高く評価された芸術はそれなりに語らないと、とか考えてしまう。
素直に表現したらいいのに。
大人になると、何かが邪魔してそれができなくなる。
以前、視覚障害の方から、永田萌さんの絵本の音訳を依頼されたことがありました。
母親が広い草原で子供を抱きかかえた絵をどうやって説明しようか・・・。
母親がかぶっている帽子、洋服、どうやって子供を抱いているのか、など1枚の絵の説明を細かく書いてみて、家で夫に目をつぶって聴いてもらいました。
「これから私が言うから、絵が思い浮かぶかどうか聴いてちょうだい」
すると
「説明し過ぎて全然イメージがわかない」
きっぱりとダメ出しをしてくれました。
この時、思ったのです。
絵画は、説明し過ぎると伝わらないのだと。
目で見るけど、心で感じる。
相手の心に届ける。
正解、不正解のない表現の授業は、学生たちの表情が明るい。
こうして、あがり症を捨て去っていってくれれば一石二鳥。
表現は楽しい!
表現を楽しもう!!