アンドロイド観音

まていに

先日の上田情報ビジネス専門学校主催の佐藤芳直さんの講演でもお話しがあったアンドロイド観音。


豊臣秀吉の正室・北政所ゆかりの歴史ある寺、京都の高台寺に1億円をかけて登場したロボットです。

講演会の会場に、アンドロイド観音が般若心経を唱える場面が映し出されると、会場から笑いが起きていました。

佐藤芳直さんは、「AIはアルゴリズムで動く、一方、心で説教してほしいのが人間」と、心、言葉、の大切さを述べていました。

偶然、きょうの「まつもと市民タイムス」のコラムに、僧侶の高橋卓志さんが、「坊さんが要らなくなる日」というタイトルで、そのアンドロイド観音についてを寄稿していました。

高橋さんのコラムによると、“寺側の説明だと、観音は人々を救うために姿を変える仏である・・・だからいま、観音はアンドロイドに「変身」したのだ”と。

僧侶の髙橋さんも、このアイデアや説明はかなり笑える、と述べていました。

そのうえで、『「四苦抜苦」は本来、仏教の根本命題であり、坊さんたちに課せられた重要な使命だ。しかしいま、「マインダー」(アンドロイド観音)が苦を持つ人々の前に立った。将来、進化したアンドロイド仏によって苦を持つ人々は救われていく。それは、この世に生身の坊さんが要らなくなる日が訪れることを意味している。釈尊以来2500年間続いた仏教は、いまも膨大な経典や遺跡などにデータが遺されている。それらをAIが深層学習すれば「釈尊」はアンドロイドとして再誕する。(中略)実に興味深い。』と述べていました。

僧侶の世界でも、AIが話題になっているのが、おもしろく思いました。

「言葉」は、からだから発する。相手に届く実感がある。

「言葉」は、ただ単に、物事を指し示すラベルではない。

これだけは、変わりようのないことでしょう。

安曇野は4月なのにきのうの雪で白くなっていました。