クリスマスイブの日、富士見町にある八ヶ岳アルパカ牧場へ行ってきました。
お目当ては、アルパカレース
4頭のアルパカが200メートルほどの距離を疾走?するレースです
馬券ならぬ「パカ券」は1枚500円。
当たらなくても売店で円相当500の商品と引き換えることができます。
当たれば1,000円相当の商品と交換ができる。
私は「エスペランサ」ちゃんに500円!
いざ、ゲートが開きました。
一番小さいけど、年長のポコちゃんが、パカパカと疾走。
エスペランサちゃんはじめ、後の3頭はマイペース。

ポコチャンぶっちぎりの1位か!
と、誰もが思ったその時・・・・
何と!
ゴール2メートル手前で、ピタッとポコちゃんの足が止まり、
エスペランサちゃんが、ノロノロと追い抜き優勝!
もう、楽しいレースに寒さも忘れて大笑い!!
私のパカ券は1,000円分の商品と引き換えることができました。
それにしても、なぜ、ポコちゃんはピタっと止まったのか。
「止まりたかったから」
ポコちゃんに尋ねることはできませんが、きっとこう言うんじゃないかな。
ちょうど私は「ぼけと利他」(伊藤亜紗・村瀬孝生:ミシマ社)を読んでいました。
「利他」の問題を考えるときに、お年寄りとかかわることは究極な感じがしています。自分が働きかけてもフィードバックがいまいちわからなかったり、違う形で返ってきたり、・・・(続く)
こんな伊藤亜紗さんの問い掛けから始まるお二人の往復書簡。
アルパカ牧場のアルパカたちを見ていると、この本の言わんとすることとかなり共通項があるなと、私の頭の中でピピピと繋がっていきました。
私たちの会話は、話の終着点にたどり着こうと向かっています。
ぼけのお年寄り同士は、話の終着点にたどり着かなくても、それをそのまま受け入れる。
(この本では、認知症とは言わず「ぼけ」と言っています。その理由もとても腑に落ちることが書かれていました。生まれたての赤ちゃんに、歩けないからと言って治療を施すことはしない、お年寄りがぼけるのも同様に病気ではないのだ)
アルパカが、なぜ止まるか、なぜ進むか、そんなことを考えているわけではない様子がダブります。
本では、こんな事例が紹介されていました。
頭の硬膜下血腫の手術痕が穴のように残るMさん、それが気になったKさん、Sさん、3人のおばあちゃんの会話が紹介されていました。
Kさん「わたしゃ、ずいぶんと前から気になっとったんですがねぇ、あなたの、その穴はなんですか」
Mさん「ああ、これですか。まず、綿を詰めます。そして、種を埋めます」
Kさん「そうですか」
Mさん「そして、水をやります」
Sさん「わたしゃ、前々からあの緑がよかと思いよった」
Sさん「やっぱり、緑はよか」
Kさん「ああ、そうですか」
この、のんびりとした感覚がいいなあ。
目的を持って会話するんじゃない、時と場所を共有ための会話。
誰かのためにした行為が、相手の反応によっては、「せっかくしてあげたのに」という感情につながってしまうことがあります。
ぼけのお年寄りの介護は、「誰かのため」が一筋縄ではいかない。
そこから「利他」について考える本です。
話はアルパカに戻します。
アルパカ牧場のスタッフの方たちは、皆さん、とても明るくて優しくて、たくさん声をかけてくださいました。
手を見ると、寒い場所でのアルパカの世話で荒れていました。
私たちを笑顔で迎え入れてくれるスタッフの方たちのおかげで、すごく楽しい時間を過ごすことができました。
アルパカは悟りの境地なのか・・・
「今、ここ。それが大事。」
アルパカに言われたような気がしました。