あがり症と欽ちゃんと私

あがり症

一番いけないのは、間違えないように

「人生の流儀」(新日本出版社)を読んでいます。

14人の著名人が執筆しています。

一番初めの、萩本欽一さんの章を読みました。

驚くことに、欽ちゃんもあがり症だったそうです。

そして、小堺一機さんについても「最初にテレビに出た時、ガタガタ震えていた」って書いてありました。

小堺さんについて欽ちゃんは、「俺と互角のあがり症のヤツがいるんだ、スゲーッって、バカにうれしかったの。」って。

みんな、あがり症だったんですね。

そして、心を打つ言葉がありました。

 テレビでも舞台でも、大切なのは“勇気”だと言います。

一番いけないのは、間違えないように、っていう神経なの。失敗するかもしれない。成功するかもしれない。でもそれを思い切ってやったときに、ウケるの。

勇気!

欽ちゃんは、下積み時代、師匠から「おまえにあれこれ教えてもわかんないから、10年間デカイ声出しとけ」と言われたそうです。

やけくそで師匠が言ったように怒鳴った言葉が「なんでそーなるの!」

勇気をもって、大きな声を出す。

すると、運も開けるんですね。

学生にも伝えたいと思いました。

欽ちゃんと私と長野冬季オリンピック 

長野冬季オリンピックの閉会式の総合司会を務めた萩本欽一さんを、私は鮮明に覚えています。

というのも、当時、私は、長野冬季オリンピック組織委員会へ出向していて、開閉会式場の報道部長をしていたからです。

世界各国からのプレス関係者の取材活動をサポートする仕事です。

閉会式の日は、欽ちゃんの総合司会の声を聞きながら、無我夢中でした。

その閉会式が終わった時の気持ち、忘れません。

全てが終わった・・・。

 

その3年前・・・

オリンピック組織委員会への出向が決まり、異動の挨拶に伺ったある会社の経営者からいただいた「はなむけの言葉」は、私を支えてくれていました。

「会社経営は、終わることがない。でも、オリンピックは、打ち上げ花火のように、ドカーンと終わる。終わることができるところで、精一杯働けるって、貴重な経験だよ。」と。

その言葉が常にあり、辛いことも乗り越えられました。

欽ちゃんと同じ長野の冬の夜空の下にいた私は、「終わった」と深呼吸したことを覚えています。

一人でしばし、暗い会場の外で、「終わった」と。

冷たい空気がおいしかった・・・