レタスと国際人

まていに

レタスが美味しい季節がやってきました。

今夜はレタスのサラダが食卓に。

レタスを洗う度に思い出す、苦い思い出があります。

それは、大学生の頃、アメリカへホームステイに行っていた時のある日の些細な出来事です。

滞在先のご家庭では、夕飯にたくさん料理を出してくれました。

みんなで囲む食卓は、とても楽しかったです。

食べ終わり、食器の後片付けを、私が率先してやりました。

取り分けて食べる大皿にレタスのサラダが残っていました。

「捨てて」と言われたのですが、このくらいの量ならば捨てないで食べられると思って、ゴミ箱の前で、お行儀悪くレタスをほおばっていました。

その様子をその家の奥様に見られてしまい、顔をしかめられてしまいました。

決してお行儀のいい行為ではありませんが、なぜ、ほおばったのか説明ができませんでした。

「もったいない」という、今は国際的にも通じる言葉も見当たらず、恥ずかしい顔をするのが精いっぱいでした。

食べたかったわけではない、おなかがすいていたわけではない、ただ、食べ物を粗末にしちゃいけない、その思いだけでした。

「食べ物を粗末にすると罰が当たる」と、子供の頃から親に教えられてきたので、食べられるものをゴミ箱に捨てることに抵抗があたのです。

さぞ、奥様は、「日本人はお行儀が悪いわね。」と思っただろうし、「卑しいわ」とも思ったことでしょう。

私のせいで、日本人の品位を落としてしまった・・・

今なら、こう説明すると思います。

私たちは、動物や植物の命をいただいて生きている。

だから、食べ物を粗末にしてはいけない。

これが日本の昔からの教えだ、と。

曹洞宗の永平寺では、米一粒も粗末にしないように丁寧にお米を研いだり、野菜の皮も美味しく料理するのも修行の一つです。

ご飯は数粒残して、スズメなどの野鳥に分けてあげるのだそうです。

地球で人間と動物は一緒に生きているけど、人間は他の命をいただかなければ生きられない。

いただいた命を粗末にしてはいけない。

食べる前の「いただきます」は、「命をいただきます」ということ。

人間はおごってはいけない、感謝して生きなければいけない。

こうした日本の良き教えを伝えることができなかった・・・。

そればかりか、食べ物をむさぼる日本人の印象をアメリカに残してしまった・・・。

「国際人」は、自国の文化や美しさを、自分の言葉で説明できること。

レタスを洗う度に、思い出しています。