先日、教育について、ざっくばらんに意見を出し合うZoomの会議に参加しました。
その中で、「大学を卒業して、世間を知らないうちに先生になる人がほとんどで、先生は社会を知らない」といった発言がありました。
こういった発言は、これまでも幾度となく耳にしたことがあります。
発言された方は、先生とのやりとりでかなりご苦労なさったようです。
ふと、「あっ!先生がいらしたのにごめんなさい」って、謝られちゃいました。
私は、大学を卒業してすぐに先生になったわけではないし、と心の中で、自分が批判の対象から外れたことに少し安堵する自分もあり・・・。
さて、さて。
私の父は教師でした。
どんな先生だったかなど全く知りません。
私は、なんとなく民間企業に就職の方がかっこいい気がしたので、マスコミの道に進みました。
姉もそうです。
姉に至っては、「先生にはならない!」と言って、大学で教職課程もとらなかったので、社会人になってから学んで先生になったのですから、私は驚いてしまいました。
蓋を開けてみると、姉も私も、「先生」と呼ばれる仕事に行きつきました。
よくもまあ!
「先生にはならない」と豪語していた二人の娘が、先生になったのですから、親は開いた口がふさがらない、といったところでしょう。
前職の職場にも、「親が教師」という後輩がどんどん入社してきました。
同僚はそういう後輩に向かって「先生の子どもは、ダメな奴が多い!」などと、私もその一員であることを知らずに罵っていました。
ここでも「先生は世間を知らない」という、攻撃(口撃)が繰り広げられていました。
さて、「先生は世間知らず」という言葉。
それを言われると、先生は断然不利な立場に追いやられてしまいます。
熱心な先生方は、社会を知ろうと、企業に研修に出かけるとか。
そういえば、前職でも先生の職業体験研修を短期間受け入れたことがあったような記憶があります。
今、「世間」「社会」が急激なスピードで変化していっています。
日本でスレスレ許されたことが、世界では非常識とバッシングの対象になることが、骨身にしみてわかってきた事象がこのところ多々あります。
大人が語る「世間」や「社会」がこれだけ不確実な中、「真・善・美」だけは世界で大切にされる価値観だと思います。
それを子供たちは学ぶ、先生はその場をつくりだす。
それでいいんじゃないかな。
先生が職場体験をするのは意味がないとは言いませんが、貴重な時間なので、そこまで苦労しなくてもいいのではないかしら。
吉田松陰先生のレクイエムとして描かれたマンガ「松かげに憩う」の1巻を購入し読みました。
裏表紙にある紹介文です
幕末の日本を生き急いだ男・吉田松陰。
松下村塾を開き明治維新を導いた
松陰先生と門下生達の若き日々。
そして、その儚(はかな)き29年の生涯が、
器才・雨瀬シオリによって
外連味を漂わせ紡がれる。
1巻だけでも、心が震えました。
「僕の信じる“志(こころざし)”がそう命じたから・・・」(マンガの中の松陰先生のセリフ)
2巻が早く読みたい!
(1巻は、別冊ヤングチャンピオンの2019年1月号から2020年7月号までの6話分が収められています)